パリ・ファッションウィーク。
2015年春夏にむけての最先端の淑女の嗜みが発表された。
世界のクリエーターが新作を発表すべく集うプルミエール・クラス。
最先端なお洒落も愉しや。
早朝は冷え込んでいたものの、日中は秋晴れに恵まれ、
犬と仲良くお昼寝うとうと・・・ムッシュー。
それは晴天続きの、奇跡のように暖かい秋の日々でした。
見上げると、鱗雲。
そんな青い空にみとれていると、8月に訪れた南仏に心はタイムスリップ。
だまし絵のお家と南仏の抜けるような青空。
こう見比べると、同じ青でも色調がだいぶ違う。
パリの青空はどこかいつもアンニュイで、
南仏のそれは底抜けに陽気。
この愛らしい南仏の旧市街には、ぐるっと一周、街を囲むように小川が流れていて、
眩しい太陽がキラキラと反射していた。
街を歩いていると、気がつくと小川にたどり着き、
また小道を迷路のように彷徨うと、自然にまた小川に行き着く。
小川にたゆたう幾重にも重なった藻の絨緞は、
まるでダンスをしているみたいに、
ゆらゆらと。
それらを眺めているだけで、心 がとけていく。
その水面に遊ぶ鴨たち。
水面下のがんばりを表には出さずに、
すいすいと美しく泳ぐ姿に、いつも見とれてしまう。
この街に来たのは、実に10年ぶりだったけれど、
旧市街は何も変わっていなかった。
10年前の滞在中、毎日通い続けた古き良きカフェも当時のまま。
教会の向かいにある大きなプラタナスの木のふもとに。
変わらない美しさを持ち続けるこの南仏の小さな街にたどり着いたことで、
ただひたすら忙しく流行を 追う淑女ではなく、
変わらない美を放ち続けるものと、
新しい美を放つものをバランスよく身に纏う淑女がよいな。
・・・などと、変わることが美徳のようなこの世の中に対して淑女論をひとり考えたりして。
この街へやって来たのは骨董探しのため。
街中に点在する骨董屋をひとつひとつ訪れ、宝探し開始。
古物たちが語る歴史に耳をそばだて、
当時の淑女のドレスの仕立てに使われたであろう絹糸の色のグラデーションにため息。
ローズ色の絹糸たち。
陶器ばかりが集められた青空スタンドでは、
南仏の土で作られた橙色の器が 多くあり、
さすがその土地の空気感にぴったりはまっていた。
琴線に触れるのは、昔から好きでやまないBarbotineの陶器。
凹凸がある形状が特徴的で、色合いやモチーフがとてもロマンチックで美しい。
今回の宝探しで見つけることができたBarbotineは、ほんのわずか4枚。
それほど多く現存していないので状態の良いものはなかなか見つからないけれども、
Barbotineを愛してやまない収集家が多いとか。
それもうなずける、一枚あるだけで食卓が一気に華やぐ。
当時の淑女は、これらの器でどんな風にテーブルコーディネートを楽しんだのだろう。
Barbotine(バルボティーヌ)は陶器の種類の名称で、
19世紀の末から富裕層の間でブームとなり、
アールヌーボー(1890−1910年頃)以降に、
華麗な草花などで彩られた器がたくさん生産されました。
ベルエポック(1900年頃)の頃には、
個性的なものに人気が高まるムーブメントが起こり、
このようなブルジョワ階級の趣向の変動も手伝って、一気に人気が高まったとか。
淑女の食卓には、必ずBarbotineが華を添えていたのでしょう。
もうひとつ、1900年頃の淑女の嗜み。
洋銀でつくられた手のひらサイズの小銭入れ。
こんな小銭入れをそっと取り出していたのかな。
この小銭入れの持ち主は、どんなドレスを纏った、どんな性格の女性だったのかしら。
・・・などと、空想する時間は至福。
骨董屋の一角に置かれていた古い小箱たちの集まり。
いつものようにここ数日、灰色のお天気が続いているパリ。
映画に登場する猫が我が家のシューベルトに毛並みがそっくり。